うまいこと言った広告、うまいと思わせる広告と、売れる広告は違う。
広告評論の欺瞞、それを私は次のように告発する:おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか?
たいていの批評者は買ってない、と断言できる。
広告を「作り手」として語ることに意味がないとは言わない。作る方法の議論は有意義だ。しかし、広告の本質的な批評とは「消費者」「生活者」の観点でなされるものだろう。そして、「消費者として語る」とは「自腹で購入する」ことに他ならない。脳内で「消費者行動」を想像するのは、(作り手として)仕事でやってることだろう。それじゃダメなのだよ。「うまい広告と、売れる広告は違う」と言ったろう?
買わずに広告を批評するというのは、結局、広告を「作品」として評価しているに過ぎない。しかも、同業者の視点で。なんという内向きの思考だろうか、広く社会に向けて「広告」することを仕事にしているくせに。
アンケート調査通りに商品を作って売れなかった事例は腐るほどあるだろう。同じように「よい広告のように見える」からといって、実際に「よい広告(=売れる広告)」であるかどうかは別問題なのだ。